ユーカリアンサンブル
設立
楽団のなりたち
ユーカリアンサンブルは名古屋市東部のクラシック音楽愛好家の同好の士が集まって1980年代前半から活動をはじめたのがはじまりです。
当時は職場の仲間が仕事の合間にバロックのトリオソナタ、ブランデンブルグ協奏曲の4、5番、ベートーベンのトリオ、モーツアルトのディベルティメントなどなど、アンサンブルを楽しんでいました。
練習場所探しに苦労した時代も
人数も増えはじめ、名東社会教育センターで練習をするようになります。社会教育センターは各種の文化活動に部屋を格安で借りることができ、とてもありがたかったのですが、ただの教室風の部屋で防音とかいう設備は一切なし。ユーカリが練習をしていると隣で「源氏物語を読む会」とか「俳句の集い」などをやっていて、もうちょっとお静かになどといわれることもありました。
はじめは練習場として借りる音楽団体はなかったのですが2,3年後にはほかの団体も練習をはじめ、日程がぶつかるとお互いにうるさくて困ったことも。設立当初、ユーカリには管楽器がフルートしかなく、フル編成の室内管弦楽団に音量で負けて悔しい思いをしたものでした。最近では市などのこういった施設も音楽練習用の部屋もあるようになったし、公営、私設の小音楽ホールも増えてきました。
楽団名の由来
次第に参加者が増えると合奏グループに名前をつけ独自にコンサートもやろうではないかという話しが出てきました。
このころ名古屋動物園にコアラがオーストラリアからやってきて、その餌の供給に頭を痛めた名古屋市は東山の動植物園や平和公園一帯に大々的にユーカリの植林を行っていたそうです。
「コアラ合奏団はどうかな」
「いやいやそれはあまりに軽佻で時流便乗だ」
などの意見が出たものの、結局コアラのエサのユーカリになったようです。こちらのほうが軽佻ではないかという議論はともかく、「名古屋の東」ということイメージから出たものでオーストラリアとは何の関係もないんです。